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お知らせ
  • 日本山岳文化学会誌9号の記事はこちら
  • 山本明氏に関する情報を集めています。心当たりの方は事務局までお知らせください。
  • 井上(達)は日本山岳文化学会の会員です。


◆日本山岳文化学会誌9号に掲載された「山本明さん」に関連してコメントがありました。-----T.I.


◆ 山本 明 氏について               金井健二   2009年1月23日

前々から平井さんに指摘されていることは、「ACKUでは先輩のことを若い人が継承していないことが問題で、高木さんひとりに光があたった結果、他の先輩の真摯な山登りの精神、業績が薄れてしまっていることが残念だ。たとえば山本明さん、土田新一さんなどはもっと知るべき人であろうと思う。」ということでした。山本明さんについてもぜひ私に紹介の記事をかいてほしいと依頼されています。そうすれば高木信仰も薄れるのではないでしょうかとも。

甲南山岳会では、伊藤ゲンさんや田口兄弟、香月慶太さん(ACKUのOBでもあります)などが未だに語り伝えられていますが、わがACKUでは戦前活躍されたOBについては、なぜかパタゴニア以後殆ど語られたこともなく、特に高木世代以後のOBはチャカ神話への傾倒ぶりに反比例して無関心です。先年、たまたま学習院の依頼で調べた土田新一さんのことを、私はACKUニュース31号に寄稿しましたが、反応はほとんどゼロに近く全くがっかりしました。谷川岳の虹芝寮行きがACKUの恒例行事にはなっても、日光の光徳小屋はその存在さえも知られていません。

山本明さんについては、平井さんの紹介でJAC京都支部の明井克子さん(大津市在住)という親戚の方(山本明さんの従姉妹)との連絡もついています。戦前大阪に山本インキという会社があり印刷用インキの老舗でした。昭和30年代までは会社名も記憶していましたが、その後はよくわかりません。山本明さんはたしかこの会社の御曹司だったように聞いています。現役時代の活躍と余りにも若すぎる戦死という悲劇、山岳部への基金提供の遺言など、絶対に語り継がれねばならない先輩です。山本明像の発掘も、私辺りがしないと埋もれてしまいそうですから何とかしなければと思っていますので次回のACKUニュースで、ぜひその人物像に光をあててみたいと考えています。

山岳文化誌のコピー読みました。西岡一雄さん宛て手紙を読んで感ずることがありました。一つは「海に消えた山男」の出版検討会(ねむの木山荘)の席で「山と人」が話題になったときのことです。高田誠君の「山と人」は「反戦文学」という意見に、80年史で山本明さんのことを書いた直木君が異論を唱えました。残念ながら私は「山と人」を読んでいなかったのですが、高田誠君の判定勝のように感じました。その後の総会で高田誠君が2部所有していた「山と人」の1部を希望者に譲る旨の発言があり、私も手を挙げましたが残念ながらジャンケンで林市雄君に負けました。従って私の知る所有者は高田、林の両君ですが、当然、別に田中山岳図書館にはあると思います。今一つは、土田新一さんとの共通点です。西岡一雄さんは好日山荘の店主ですが、昭和30年ころまでは登山道具店に山屋仲間の一種のサロン的雰囲気があり、店主との仲間意識がありました。土田新一さんも戦地から神戸好日山荘の島田真之介さんに手紙を書いていました。このような雰囲気は円満字さんの知らぬ世界です。「山岳文化学会」は全く知りませんでしたが、山本明像を調べる情報源になりそうです。「登山は文化である」とは桑原武夫さんの名言ですが、その系譜の「学会」かとも思われます。

◆ 山本 明 氏 追悼集 「山と人」      金井健二  2009年1月24日

山本明さんの「山と人」を私はまだ読んでいませんので、余り山本明さんを語る資格はありませんが、私のメールに関しては如何様に料理してくださっても結構です。acku.netに掲載されれば、それが山本像を書かねばならないというプレッシャーになってズボラな私にはよいかもしれません。そのためにも「山と人」を早急に読まねばと思っています。

山本明さんに関しては「山と人八十年」で、p.38(直木)、p.89(木全)に関連記事を掲載していますが、特にp.301の三上富三郎さんの「山本明君の追憶」という文は読んでいて涙がでました。ACKUニュース28号の私の評論「八十年史のトラウマ」でもp.41に少し書いていますし、今度の「山と人17号」でもp.24で私が少し触れています。支那事変で戦死されてしまいましたので勿論直接は知り得なかった先輩ですが、先ごろ亡くなった大阪市大の大OBの大橋さん(京都一中、大阪市大、元蝶理社長)からも「山と人八十年」送呈の後、「山本明君の記事が大変懐かしかった」と礼状をいただきました。山本さんの文章は「ケルン」にも8編ばかり掲載されており、当時の神戸商大山岳部の最もアクティブな代表的部員だったと思います。「山と人」出版時の山岳部の僚友3人の内、私は友田謙三さんだけは面識がありませんでしたが、日比野さんはボリビア遠征時の副会長で亡くなるまで親しくしていただいたし、高谷さんはパタゴニアの隊員でした。