Takeru Yamada  山田 健 
☆Chief Secretary of the Alpine Club of Kobe Universirty 神戸大学山岳会・副会長
☆A resercher at the Kula kangri 7554m Expedition in 1986 ク-ラカンリ遠征隊・学術隊員
☆Secretary and Deputy Leader of Kangri Garpo Expetiotion in 2009
(The first ascent of Lopchin Feng 6805m)崗日嘎布学術登山隊・副隊長
☆Leader , Nyainqentanglha West Mountain Expedition in 2015 念青唐古拉西山群登山隊隊長

The Alpine Gallery  Takeru Yamada







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  画集  「山と人」  2020年 発行 



↑兵庫県知事賞受賞作品

Takeru-17
2008年10月 山田健は兵庫県、県庁内の作品展で知事賞を受賞
勤務地であった宝塚の町並みを見事に再現しています
明るい町並みから歌声も聞こえて来るようではありませんか

その彼が今日まで筆を持って書き上げた山々の絵を公開してくれました
絵についてのご感想や問い合わせは事務局までご連絡ください
お待ちしております

では、以下のギャラリ-をお楽しみください。登山家ならではの視点が新鮮です

(ギャラリ-の絵は全て油絵です)


 絵をクリックすると拡大できます


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立山・浄土沢の秋

10月、一の越から雷鳥沢のテント場へ。浄土沢付近は草紅葉、ナナカマドなどが色づき、一年中でもっとも美しい時期を迎えています。

F20号   2002年制作


Takeru-2
黎明の剱岳

11月下旬、立山から縦走して別山まできたとき大雪に見舞われ、厳冬期へ一気に季節が移り変わりました。厳しく冷え込んだ夜明け前に別山のテントを出発し剱御前小屋へ向けて下るところです。正面に朝日を浴びた剱岳が招くようです。

P20号   2003年制作


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御坂峠の春

5月の連休に箱根から、富士山を半周して富士吉田へ。そして河口湖を渡り御坂峠に登りました。峠の旧道に入り、トンネルの手前の御茶屋の前に山桜。富士山に最後の別れを告げました。
F6号  2008年制作






Takeru-4
上高地新緑

5月、よく晴れた日の午後の上高地は底抜けに明るい。梓川の河畔は新緑美しく、その背後の穂高は残雪がまぶしい。

F20号 2001年制作




Tekeru-5
新緑の奥入瀬

染まるような新緑に咲くヤシオツツジです。(模写)

F8号  2006年制作





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立山スキー

毎年5月下旬か6月上旬にスキーを担いで立山に行くことを続けていました。この季節の立山は至る所絶好の山スキーゲレンデとなります。午前中は雷鳥沢を2時間かけて剱御前に登り、15分で豪快に滑って下りてくる。午後は山崎カールへ、といった具合です。

P20号 2008年制作


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三ノ窓雪渓

剱沢の二俣から見上げる三の窓雪渓は千メートルの高差を一直線に三ノ窓にせり上がっています。その雪渓に八ツ峰岩峰群のギザギザした影が落ちているのが印象的です。

F8号 1996年制作




Takeru-8
冬の大正池

11月になると上高地への交通はなくなり、徒歩で入ることとなります。大正池まで来るとすっかり冬山の様相となった穂高が迎えてくれました。

F4号 2004年制作




Takeru-9
槍ヶ岳

7月下旬、夏山の季節。南岳のテント場を朝一番に発って大キレットを通過し北穂高の小屋に登り着きました。小屋のテラスから振り返ると、今通ってきた稜線の上にすっきりと均整のとれた槍ヶ岳の姿が美しい。

F15号 2001年制作



Takeru-10
早春の開田高原

3月、まだ雪深い開田高原。雪解けの末川のせせらぎがきらきら光っています。朝の光を浴びた継子岳から摩利支天、剣が峰へと続く御岳が大きい。

F20号  2003年制作



Takeru-11
遠見尾根からの冬の鹿島鑓ヶ岳北壁

地蔵の頭から小遠見を越えて中遠見あたりまで来るとカクネ里を隔てて北壁が正面に見えます。冬の空は紺色に冴え、カクネ里の陰の部分はその色を映しています。

F8号 2003年制作



Takeru-12
徳本峠からの穂高連峰

5月初め 季節はずれの冬型気候で上高地では1日中冷たい雨が降っていました。翌日未明に小梨平を出発し徳本峠に登ってみると、予想したとおり上の方は雪化粧されていました。雲が切れて、白くなった穂高連峰が姿を現しました。

P20号  2005年制作



Takeru-13
名峰マッターホルン

2006年5月の連休にスイスを訪れました。ツェルマットから登山電車に乗ってゴルナーグラートまで登ってくるとあたりは雪原となりました。幾度となく写真で見たマッターホルンがそこにはありました。まさに世界の名峰です。

F20号 2006年制作








Takeru-14
ゴラパニ峠からのダウラギリ峰夕照

1998年11月 ポカラから2日のトレッキングでゴラパニに登り着いきました。峠の反対側のダウラギリが出迎えてくれます。カリガンダキ川の深い谷を隔てて、王者のような巨峰が夕陽に映えていました。

P20号  2006年制作


Takeru-15
カリガンダキ川から仰ぐヒマラヤ大障壁

ゴラパニからカリガンダキ川に下り、川沿いに上流へ向かうとヒマラヤ山脈の最も高い部分(大障壁)を貫く大ゴルジュ帯となります。この大障壁を境に気候、植生、人種、文化さえも劇的に変化します。ゴルジュを北側に抜けたジョムソム付近から振り返ると大障壁を形成するニルギリ北峰が遙か高く聳えています。

F20号 2004年制作


Takeru-16
東チベット・カンリガルポ山麓を行く

2007年10月31日、東チベットポロンツァンポ川最奥の村ラグーを後にして、広々としたコーギンカルカから、カンリガルポ山群最高峰のルオニイがアタ氷河の奥に仰ぎ見えました。我々の荷をベースキャンプまで運ぶヤクとヤク使いが前を進みます。74年前にキングドン・ウォードも見た光景です。

P20号   2008年制作


Takeru-18
Ata氷河の偵察を終えて

M20号  2009年制作

2007年11月8日。カンリガルポ山群のAta氷河4900m地点からルオニイとそれに続く2峰、3峰の偵察を終えて、第一キャンプへ引き返す途中です。午後になってガスが湧き、3峰にかかり始めています。来るべき日の再会を期して山々を振り返り、別れを告げました。




Takeru-19
陽光あふれるフラワーロード

F4号  2009年制作

晴れた5月の昼下がりは底抜けに明るい。神戸のメインストリートのフラワーロードを歩くと、摩耶山から市章山あたりの新緑の山がビルの間に見えます。






Takeru-20
グリンデルワルトにて

F20号  2009年制作

グリンデルワルトの街から一番目立つ山はアイガーではなく、ヴェッターホルンです。街のある谷間から一気に突き上げる北壁の上に頭をもたげたように頂上が見えます。圧倒的な岩壁に守られて、とても登れそうには見えないのですが、六十数年前、我が神戸大学山岳会の高木正孝先生はこの北壁を登られました。





Takeru-21
第一アイスフォ-ルを行く

F20号 2010年制作

2009年10月22日 デポキャンプからABCへ荷揚げを行う。

標高4500m付近にある第1アイスフォールに入ると、まるで荒れ狂う大海原を行くような錯覚を覚える。
背後にはシャナ峰が遙かな高みから我々を見守っている。
(2009年神戸大学・中国地質大学(武漢)合同カンリガルポ山群学術登山隊)







Takeru-22
Ata氷河の夜明け

M20号 2010年制作
2009年10月29日 カンリガルポAta氷河4700m地点のABC。

昨日までの南東の風が西向きに変わり、夜明けから天候が良い。
テントから出ると、氷河の源頭に聳えるKG-3が黄金色に輝く壮大なショーが始まった。

(2009年神戸大学・中国地質大学(武漢)合同カンリガルポ山群学術登山隊)





Takeru-23
槍沢の夏


F10号 2010年制作
アルプスに行く誰もが一度は通る道が、上高地から槍沢に沿って槍ヶ岳に至る道だ。
槍沢ヒュッテを過ぎて、大曲あたりから道は急になり苦しいが、U字谷の奥に槍ヶ岳の勇姿が見えると、夏山気分が満点で元気が湧いてくる。



Takeru-24
ラグ-(Lhagu)氷河

M10号 2010年制作

2009年10月17日、拉薩を出発して3日目に拉古の集落に到着した。
2007年の偵察以来2年振りの拉古集落は学校や集会所が新しくできていたが、そこから見えるラグー氷河の雄大な流れは少しも変わらない。
ゴンヤダ、ゼー、ハモコンガ、そして30km奥の氷河源頭のゲムソングなどの峰々が超然として聳えている。




Takeru-25
油坂の頭から仰ぐ白山御前峰


F10号 2011年制作
8月下旬、南竜ヶ馬場から白山南部縦走路を別山方面にたどると、油坂の頭への登りが始まる。樹林帯を抜けると、ハクサンフウロやミヤマシシウドが茂る斜面に出た。振り返ると、夏雲が湧く空をバックに御前峰が高い。





Takeru-26
バンフの夕暮れ

F4号 2011年制作
カナディアンロッキーの小さな町バンフのメインストリートはまっすぐにカスケードマウンテンに向かって伸びている。
夕暮れ時、バンフの町に灯りがともるころ、カスケードマウンテンに最後の陽があたっていた。




Takeru-27
Ruoni Feng 6882m

F20号 2011年制作

2009年11月12日、カンリガルポの山々に別れを告げるためにラウからザユール街道の高原に登り着く。初冬の澄み切った青い空をバックに最高峰「ルオニイ」と、つい1週間前に我々が初登頂した「ロプチン」 が迎えてくれる。高原は灌木が赤く紅葉し、草原が黄金色に染まる。ここはチベットの東南の片隅。広大なチベット高原はここで尽き、カンリガルポの白い山々の向こう側は、信じがたいことにアッサムの熱帯ジャングルへと続く。あまりにも違う二つの世界を隔てる偉大な山々である。





Takeru-28
Loubuqin Feng 6805m

F20号 2011年制作

Lopchin Feng (英語)
洛布青峰
Loubuqin Feng (中国語)

「白鷹の峰・ロプチン」  2009年11月5日 初登頂

ロプチンはチベット語で " 雄鷹""勇敢""智慧""大学(University)"の意味がある。大学同士の合同隊で初登頂したので大学峰(Daxue Feng)”とする案も出たが、やはり現地の提案する呼び名を尊重すべきとの合意に至った。















27-28 は繋がるシ-ン







Takeru-29
「日中友好の峰」


学と中国地質大学の合同登山隊が協力してカンリガルポ山群のLopchin峰に初登頂した。
初登頂を果たした山をバックに肩を組む日中の隊員を描いたこの絵を中国地質大学へ贈った。




Takeru-30
「秋の渓」


F4号  2004年制作

秋の渓谷はにぎやかである。水は澄み、色づいた木々に陽が当たり目の覚めるような色彩を描く。




Takeru-31
「氷ノ山東尾根の横山先生」

横山先生に初めての山スキーを文字通り手取り足取り教えていただいたのは、もう40年近く前になる。
白馬、乗鞍、火打、尾瀬などに連れていってもらったが、横山先生といえばやはり氷ノ山の思いでが多い。
小柄な体だがシールを効かせて力強く登っていく先生の姿が今も眼に浮かぶ。
この絵は横山夫人に贈った。



Takeru-32
「Ata氷河の登高」

 F20号 2012年制作
2009年10月29日 ABCからC1への荷揚げ。先行パーティーのトレースをひたすらたどる。前方を見るとガスが切れてKG-3(6740m)が驚くほどの高さに巨体を現した。その壮大な氷の芸術品に荷揚げの苦しさを忘れしばし見とれた。







Takeru-33
「信濃大町からの蓮華岳」

F10号 2012年制作
2010年2月 長野県山岳協会主催のセミナーに参加した。昨日一日降り続いた雪が上がり、立派な蓮華岳が顔を出した。




Takeru-34
「冬富士・忍野」 

F10号 2013年制作 

2012年12月1日 緒方兄が富士山に逝った。シェルピカンリとクーラカンリの二つの処女峰を経験し、山に対して謙虚であり慎重であった。遭難から一番縁遠いと皆が思っていたその緒方兄が逝かれた。

冥福を祈りつつこの画を御霊に献じる。


Takeru-35
「夕照のヒマラヤ」
    
P30号 
2012年制作 

 2009年11月12日 カンリガルポからラサへの帰り道、日没直前にセチラ峠に登り着いた。
それは東の方角に聳えていた。ナムチャバルワ(7782m)。グレートヒマラヤの東端に君臨する巨大な山。高距3千メートルにおよぶ西壁いっぱいに夕陽を浴びて輝いていた。

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「山を去る日」 
M20号 2014年制作

KG-2の初登頂を終えてわれわれの登山は終わりに近づいた。山を去って人の住む世界へ帰る日、柔らかい色に包まれて夜が明けた。

   Takeru-37

「頂上アタック開始の朝
F20号 2013年制作

2009年11月4日、いよいよ頂上アタックを開始する。C1で迎える朝は空が澄み渡り寒気が厳しい。出発準備をする隊員の上に、目指すKG2の頂上はモルゲンロートに輝き、満月がその肩に沈む。

   Takeru-38

「KG2との出会い」 

F20号 2013年制作

2007年11月8日、二日間の降雪の後の晴れ間に偵察を行う。
アタ氷河北岸の山腹に登ると、対岸にカンリガルポ山群で最も高い稜線上に巨大なKG2(のちにロプチンと命名)が見えた。「あれに登ろう!」とその時思った。この2年後にそれが実現することになった。

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「トレンブラン山の秋
F3号2014年制作

カナダ、モントリオール郊外のスキーリゾートのトレンブラン山は、むしろ秋の紅葉の美しさの方で有名である。訪れたときには、頂上付近はすでに落葉していたが、山麓では美しい紅葉が見られた。

   Takeru-40

「白馬三山の秋」
F3号 2014年制作

白馬ハイランドホテルからは、白馬村の背後に白馬三山が良く見える。白馬の秋は山の色と山麓の紅葉の色が微妙で何とも言えない美しさである。

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「尾瀬の水芭蕉」
F6号 2014年制作 

尾瀬ヶ原からは至仏山が実に大きく見える。特に水芭蕉の頃は残雪のまだら模様が素晴らしい。

   Takeru-42

「冨士遠望」
F6号 2014年制作 

冬の一日。森林の切れ目で振り返ると、冨士の山巓が雲間から覗くように。

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 「天空の湖から天帝の峰へ」 
P30号 2015年制作

 標高5千mにある天空の湖プマユンツォの湖畔まで来ると、南方に天帝の峰クーラカンリを望むことができる。1986年4月21日、私たち神戸大学チベット学術登山隊が初登頂した。


  Takeru-44
Bada谷にて」 
F10号 2016年制作

 201510月 チベットのニェンチェンタンラ西山群 Natsu村の仮ベースキャンプからBadaQuの谷を遡る。氷河湖跡からベースキャンプまでの間は庭園のように美しいU字谷が広がり、谷の奥には氷河を頂いたBadaRiⅤ峰が望める。

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「空へ」 
P20号 2016年制作

 1986321日、神戸大学チベット学術登山隊は、当時世界第2位の未踏峰クーラカンリ(標高7554m)を目指し、西氷河末端の凍結した氷河湖(5260m)から登山を開始した。早朝、氷河堆石の上に立つと、抜けるように青い空高く、頂上と登山ルート予定の西稜が望めた。その日からちょうど一か月後の4211615分(北京時間)登山隊は人類で初めてクーラカンリの頂に立った。  この画は神戸大学学長室に飾られている。

   

Takeru-46

「ミディからのグランドジョラス」

 F10号 2017年製作

エギーユ・ド・ミディにロープウェイで登り、バレ・ブランシュ側に出ると目に飛び込んでくるのがグランドジョラス(4208m)。頂上から落ちるウォーカーバットレス(北壁)を西側から見るので、その傾斜がよくわかる。手前の針の山のような尾根が印象的である。

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「ミューレンから仰ぐアイガー」

 F6号 2018年製作

ミューレンの牧場から氷河の浸食でできたU字谷を隔ててみるアイガー(3970m)の雄姿。左側に垣間見える北壁とメンヒ(4107m)に続く優美な稜線の対比、こちら側ののどかな牧場と氷河が作った対岸の岩壁の対比、大自然とその中を気持ちよさそうに滑空するパラグライダーの対比など面白い景色である。

   Takeru-48

「ピッツパリュ」

 F10号 2017年製作

2017年夏、再度ヨーロッパアルプスを訪れた。イタリアのテラーノからレーテッシュ鉄道に乗ってスイスに入ると、最初に見える高山がピッツパリュ(3905m)。南東面に広がるパリュ氷河の融水がいくつもの瀑布を懸け、コバルトグリーンのラーゴ・デ・パリュに流れ込んでいる。

   Takeru-49

「ラヴォーのブドウ園

 F4号 2017年製作

レマン湖畔の南向き斜面に広がるラヴォーのブドウ畑は世界遺産になっているのだそうだ。東方を見ると湖の上を走る一艘の船、その上にベルン地方とヴァリス地方を分けるはるか遠くの山々。なんとものどかな時間である。

   Takeru-50

「残照のユングフラウ」

F10号 2017年製作

森の中の町ヴェンゲン。夕食後にガイドに聞いた教会のある展望台に行くと、ユングフラウ(4158m)の大きな姿が見えた。午後9時になろうとしているのに残照を浴びて輝いていた。

   Takeru-51

「朝のツェルマット」

F20号 2017年製作

雲の多い朝だったが、ようやくマッターホルン(4478m)の頂上にかかっていたガスが取れて全貌が見えだした。ツェルマットから見る姿は実に整った姿をしている。川べりのみちを電気自動車が走り出しハイカーが登山電車の駅へと向かう。観光の町が活気づいてきた。

   Takeru-52
「メンリッヒェンからのアイガーとメンヒ」
 P10号 2018年作成

メンリッヒェンからクライネシャイデックへ下るハイキング道はアルプスを代表する草原とお花畑の道。正面にアイガーヴァントが屹立している。

   Takeru-53
「朝のユングフラウ」
 F6号 2018年作成

谷間にあるヴェンゲンの街はまだ暗い早朝、見上げるユングフラウはすでに眩しいくらいの陽を浴びていた。


   Takeru-54
「フィヨルドランド」
 M20号 2018年作成
ニュージーランド南島のフィヨルドランド国立公園ミルフォードサウンドでフィヨルドを初めて見た。海面からいきなり岩壁が突き上げ、雨後の一時的な滝をいくつも懸けている。海面から一気に1700mの高さにそびえるマイタ―ピーク、その懐に抱かれ外界から隔絶された見事なU字谷のシンバッドサンクチュアリは今でも太古の生物が潜んでいるように思えてくる。

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