本日は故青木(ひで)()氏、故山内純二氏の50回忌ならびに故石川(いしかわ)(ただし)氏の40回忌追悼の集まりにこのように多くの方々のご参加をいただいたこと、真にありがとうございます。主催の神戸大学山岳会を代表してお礼申し上げます。

前途ある青年の山での遭難はご家族にとっては幾年月を重ねましても癒されることない悲しみであります。 神戸大学山岳会にとりましても山で仲間を喪ったことは決して忘れられない痛恨の出来事であります。ここに心より哀悼の意を表し、お悔やみ申し上げます。

 また、この追悼会のお世話を頂いた東郷様、河本様ならびに世話役の皆様、ありがとうございます。山での遭難はあってはならないことですが、わが神戸大学山岳会・山岳部の歴史を振り返ると残念ながら1950年から2007年の現在までの56余年に10名(12名)の仲間が山で逝っています。その概要は次の通りであります。

195043日  八巻(やまき) 建彦(たけひこ)神戸大学神戸工専山岳部 

*   燕岳より槍ヶ岳へのポーラー展開中、赤岩岳付近で雪崩により二の俣谷へ流される
* (えい)(むら) (たかし)(灘高校)も死亡

195388日  中川 健治  

*   夏合宿中、北岳バットレス第二尾根で滑落後ザイル切断のため転落

195644日  下津 実 

*   北鎌尾根より穂高へのポーラー撤収中、北鎌尾根末端付近で天上沢へ滑落

19561222岸本 ()三郎(さぶろう)

*  前穂北尾根4峰正面壁冬季初登攀を目指し、奥又白谷を登行中、松高ルンゼからの雪崩に会い埋没(同パーティー大阪府大 裏野満も死亡)

1958328日 青木 (ひで)()、山内 純二 

*   春合宿中、北穂滝谷クラック尾根登攀中転落

1966324  石川 (ただし) 

*    春合宿中、双六岳より槍ヶ岳アタック中、西鎌尾根より水鉛谷へ滑落

198086   右田 (たかし) 

*    東部カラコルム リモ峰偵察中、ロロフォンド氷河にてヒドンクレバスに転落

19881126 天野 (ひろ)(よし)

*   アイゼン合宿中、御岳三の池にて、猛烈な風雪のため避難中の雪洞で埋没

199113or4船原 尚武(しょうぶ) 

*   中国雲南省梅里雪山の初登頂を目指していた京都学士山岳会登山隊に参加、C3にて夜中、雪崩に埋没(同時に17名遭難)

 この悲しみの歴史は消すことの出来ない事実であり、今後決して繰り返してはならないこととして肝に銘じて今後の山岳会・山岳部の運営をして行きたいと存じます。どうか皆様、これらの遭難の事実を礎に後に続く後輩達へ真実の語り継ぎを絶やすことなく、またご指導を願い申しあげます。

  

 1966年3月下旬、私は入学試験の合格発表に浮かれ、これから始まる学生生活に夢を膨らませていました。 早速、山岳部に入部を決心した矢先でありました。 石川さん遭難のニュースを新聞で知りました。母親の心配にずいぶん悩みましたが決心して山岳部の部室を訪ねました。そうするともう一人、小林広夫君も入部を希望してそこに居ました。彼がいなかったら遭難直後の山岳部に入部することは出来なかったと思います。丁度反省会の最中であったようでチーフ・リーダーの鶴谷さんが奥にデンと胡坐をかいて鎮座し、部員たちが暗く沈んだ顔を並べていたように記憶しております。

 私の本格的な登山人生はこの遭難と言う鮮烈で強烈なインパクトのもとに始まりました。幾多の登山や海外遠征に参加する機会を得て登山家への道を歩んでいきました。光陰矢の如し、今年で41年のACKU生活となりました。不肖ながら山岳会の会長を命じられ、諸先輩の方々を差し置いて失礼ながらご挨拶させていただく次第であります。

 

 ここで、少し時間を頂いて、僭越ながら山の危険と安全について日ごろ考えていることを述べさせていただきます。

 

まず、高木正孝 先生の提唱された山に関する二つの危険について、すなわち「客観的危険性」と「主観的危険性」です。両者の関係が山の危険を様々な形で出現させ、研究と訓練により主観的危険性を極小化することで安全な登山が出来ると考えられたと思います。また、先生は「探検」と「冒険」の違いを明確に示され、探検精神を発揮して良き登山家になれ、と私たちに教えられました。探検とは危険性を取り除き、困難に挑戦することであり、冒険とは一線を隔するものであると説かれました。

 次に、人間はしばしば失敗をする動物です。そのよくやる失敗を「ドジ型」と「ボケ型」に分けて分析し、そこに陥らないように環境面から対策しようというものです。色々な面から人間のする失敗を先人が分析して失敗を極力減らす努力を続けてきていますが、「ドジ型」と「ボケ型」という分類が日常生活の失敗で判りやすいと思います。「ドジ」とはやろうとして思うように出来なかった場合を言います。滑らないように氷の上を歩いて滑ってしまった、と言うのがその例です。「ボケ」は、忘れてはいけないと思いつつ大事な地図を忘れて出発してしまった場合がそれに当たります。昔の日本の軍隊は精神が弛んでいるからだ、と緊張を強いる方法での訓練をしていましたが、現在ではそれは効果が低いとされています。JRの尼崎の事故でJR西日本にはまだそのような考えが残っていたのに驚きました。現在では人間工学とかErgonomics と言う考えから自然に成功できる科学的方法を求めて安全確保をするのが主流となっています。Fail Safe設計、本質安全設計、Universal Designなど、「人に優しい」というフレ−ズが好まれる時代となりました。直感で判るスイッチとして、飛行機の車輪の出し入れのレバ−が車輪の形をしているのは一般に知られています。

 また、「Recoverable Error」 と 「Fatal Error」と言う考え方があります。昨今の社会問題化している事故に例をあげますと、「回転ドアに挟まれ事故」や「湯沸かし器の不完全燃焼による事故」、「トラックの車輪のハブの折損事故」などはしてはならないFatal Errorに分類されます。一方、失敗は成功の源、失敗経験が次の成功体験を導く例は無数にあります。厳しい条件の中で小さな失敗をし、そこから技術と経験を積んだ登山家が育ってくるのも大事な要素です。こちらは取り返しのつく失敗だと言えます。

 もう一つ、「ハインリッヒの法則」と言うことが産業界の労働安全衛生でよく言われます。1件の重大事故の影に29の軽微な事故があり、さらにその陰に300の「ひやり・はっと」があると言う。この事実から危険要素を取り除いて安全を確保しようと言うものです。

ミスを許さないと言われたら何事も出来なくなってしまいます。

登山だけでなく産業界でも労働災害は後を絶たずに解決すべき問題として多くの時間と労力が対策につぎ込まれています。KY運動(危険予知)、5S運動、 世界的にはOHSMSなど安全を価値と認識して日夜災害防止に努力しています。Safety Technologyも日進月歩の感があり、より安全な職場環境が整備され続けてはおりますが、次々と環境は変化し、安全を脅かす環境がどんどん生まれていることも認識しなければなりません。


 ではどうすればよいのか。

東京大学工学部名誉教授の畑村先生が「失敗学会」を立ち上げられ、数々の失敗から学ぶことにより、Fatal Errorを繰り返さず、失敗を恐れずに創造していく、すなわち失敗経験を共有し、創造に導こうというコンセプトの啓蒙活動を続けられています。「失敗工学」=「創造工学」として産業界に警鐘と支援のエ−ルを送られていると思っています。学会に加入して勉強中ですが、登山にも共通点が多く事故防止と遭難対策に生かしたいと考えています。

新しい山岳会のあり方として、神戸大学山岳会の伝統である「未知への挑戦」を「切り口を変えて模索しよう」と提唱していますが、これはまさに創造の世界であります。今取り組んでいる崗日嗄布(Kangri Garpo)山群の遠征も決して今までの成功体験がそのまま生かされるほど簡単ではありません。単に政治的問題で山脈全体が未踏峰の林立したまま残されているわけではありません。6000m峰は8000m峰、7000m峰より一層危険で困難ではないかと思っています。そこには未知なる危険が多数潜んでいるわけです。過去の遭難事例から高次元の方程式を導き公式化、体系化すればそれはきっと役立つものとなるはずです。失敗を恐れず、しかし、してはならない失敗=遭難を回避し、次の世代を担う登山家を育てていくことが山で逝ってしまわれた仲間たちへの最大の供養となり、また追悼となると信じております。

どうか皆様、若い世代との交流を活発にしていただき、探検精神と安全を確保した新世代の「未知への挑戦」をご援助いただきますよう、この場をお借りしてお願い方々、ご挨拶にかえさせていただきます。


 ご静聴ありがとうございます。


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山岳会会長挨拶 井上 達男   2007/5/12 新穂高 慰霊祭にて