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崗日嗄布山群研究 (阿扎・拉古氷河周辺)

☆崗日嘎布山群研究の図表・写真についてはこちらを参照⇒
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はじめに

崗日嗄布(カンリガルポKangri Garpo)山群は古くは植物採集を目的としてチベットから雲南まで広く踏査したキングドン・ウォードによって1933年、その存在が明らかにされたが、近年まで注目もされずに全体的に未知のまま残されてきた。しかし、最近の中国の経済発展と開放政策のもとにチベットの道路網が整備され、四川省などから観光地化が始まった。神戸大学が1988年に初登頂したクーラカンリ(Kula Kangri7554m)の遠征隊が川蔵公路を通過した折には道路の崩落や工事に行く手を妨げられ多くの日数を掛けてラサから成都に抜けている。今日では中甸(Zhong Dian)から車で3日も掛ければ崗日嗄布山群の中心、拉古(Lhagu)に到達し、雄大な拉古氷河(Lhagu Glacier)を眺めることができるまでに道路事情も改善され、日本からも多くのトレッカーがこの地域を訪れるようになった。しかし、数多くある6000m峰が2007年現在まだ全く手付かずのまま登頂されていないことは特筆すべきことである。政治的、経済的事情の変化にタイミング良く探検的活動を始められ、今日その成果を世に出された先輩たち、特に松本徰夫氏、中村保氏の踏査と研究結果はその探検的価値が極めて高いものであり、国内外に高く評価されている。崗日嗄布(Kangri Garpo)山群の概要を勉強するには両氏の著書*1*2*3*4を参考にしないわけにはいかない。その広く深い研究、そして現地へ何度も足を運んで確認を怠らないフィ-ルド重視の精神には特別の敬意を表したい。本研究報告も両氏の研究成果に多くを学んでいる。

さて、昨今の登山界では「もうパイオニア・ワ-クは終わった、ヒマラヤの開拓時代も終わった」と未来に向かっての希望を失ったかのような発言が見受けられる。そして、大学山岳部の衰退はもはや止めようのない事実として全国に広がっている。当神戸大学山岳部・山岳会においてもまだ現役部員が合宿を構成できるぐらい存在しているが、これからの確かな魅力ある方向性を示していかないと次の世代が大学山岳部らしい登山を続ける動機付けに乏しくなるのは明白だ。

幸い、ここで取り上げた崗日嗄布(Kangri Garpo)山群は先立の探検成果を踏み台に数多くの峰々の初登頂時代をこれから迎えようとしている。崗日嗄布山群はその北西に広がる念青唐古拉山群(Nyainqentanglha Mountains)とともにパイオニア登山を目指す山男たちにとってはこれから開拓される地球上の残された楽園である。2003年、神戸大学の若尼峰(ルオニイ:Ruoni 6805m)遠征隊は残念ながら登頂に至らず5900m付近で悪天候のため敗退した。しかし、この隊は崗日嗄布山群の一峰の登頂を世界で初めて試みた画期的な隊であった。これに引き続いて継続的にも隊を出していくことが今後の課題となる。

この研究報告は.西北端の通麦(Tong Mai)から東南端の察隅(Zayuru)まで全長約280kmの崗日嗄布(Kangri Garpo)山群の中心部で最高峰のある阿扎(Ata)、拉古(Lhagu)氷河周辺の山々20座に絞って登山家としてその登頂の可能性を探ることを目的に調査を実施して得られた結果を発表するものである。2007年秋に予定されている神戸大学と中国地質大学の合同偵察隊の成果を是非この研究結果に反映してより精度が高く、詳しい研究内容を次の機会に発表したい。そして、ただ一つのピ-クを登るための研究ではなく、将来に渡って継続的にこの地域に登山隊を派遣することを念頭にこの研究活動がより良いガイダンスに育っていくことを念願する。また、筆者は残念ながらまだ、現地へ足を運んでいないので、近いうちに現地を訪問したいと考えている。さらに、この研究を読んで崗日嗄布(Kangri Garpo)の山々に興味を持ち遠征に行きたいと思う若者が出てくればこれに勝る喜びはない。

*1: 松本徰夫編著「ヒマラヤの東 崗日嘎布山群 踏査と探検史」 櫂歌書房

*2: 中村保著「チベットのアルプス」 山と渓谷社

*3: 中村保著「深い侵食の国」 山と渓谷社

*4: 中村保著「ヒマラヤの東」 山と渓谷社


崗日嗄布山群概要と課題


  まず崗日嗄布山群(カンリガルポ :Kangri Garpo:Fig-01参照)がどこにあるかを復習しておこう。ヒマラヤの東端は一般的にナムチャバルワ (南迦巴瓦峰7782m: Namchabarwa,1992年日中合同隊が初登頂)であり、東流するヤルン・ツァンポ川(Yarlung Zangbo)が大屈曲し、南下してブラマプトラ川(Brahmaputra River)となり大山脈を分断している。そこが.崗日嗄布山群の始まりである。東南端はブラマプトラ川の支流、察隅曲(Zayü QuまたはZayul Qu)の上流、察隅(Zayü Zayuru, Zayul)で終わる。南方にはミャンマ-(Myanmar)のカカポラジ峰( 5881m Hkakabo Razi)がある。水系を見ると山脈の東部にある徳母峠(Demo La)付近から流れ出す察隅曲(Zayuru Qu)が右回りに.崗日嗄布山群を包み込み山脈の南西、ベンガル湾の平野部のSadiyaあたりでブラマプトラ川に合流する。一方の流れ、帕隆蔵布(Parlung Zangbo)は格尼峰( 6150m Gheni)より北方に流れ出し、反時計廻りに川蔵公路沿いを西北に進み通麦(Tong Mai)で易貢蔵布(Yigong Zangbo)に合流し大屈曲点付近のヤルン・ツァンポに流れ込む。したがって山群はブラマプトラ川の支流に包み込まれた独立した山脈となっている。全体の脊梁はKの字の変形した形をしているが、主脈のみが.崗日嗄布山群とされている。Kの付け根に当たる場所に崗日嗄布峠(Kangri Garpo La)がある。峠より西は山脈の西部とし、コネカンリ(6260m Kone Kangri)が盟主である。このピークは1999年にこの地域の踏査を行った学習院隊*5によって命名された。峠から東は東部と呼んで良いだろう。東部は南北に舌端を延ばしている阿扎氷河(Ata Glacier)にて分断されている。山脈の中心は今回研究対象とした拉古氷河(Lhagu Glacier)及び阿扎氷河(Ata Glacier)を取り巻く山々である。阿扎氷河の南東には格尼峰( 6150m Gheni)とその南方の6327m峰を中心に山塊が展開している。6327m峰については詳しい記述はない。これから解明されるべき山域である。


 
この研究においていくつかの前提があるのでここに述べておく。まず、地名、山名であるが、多くを松本徰夫氏、中村保氏の著書に従った。次に添付の地図とスケッチはGoogle Earthを下地に数多くの写真を参考にして稜線やピ-クの位置を同定し描写した。また、前述両氏の作成された地図も参考にした。登山家がその山を登るために見る視点から既存の地図を精査していくと疑問や矛盾をその登山経験から指摘することができる。そこに我々地図や測量、地形学などの専門家とは違う切り口で山を研究していく視点がある。研究対象とした阿扎・拉古氷河流域の山々は2003年の神戸大学遠征隊の現地情報に多くの情報を得た。ピ-クや地点の高度は旧ソ連の1/20万の地図を参照した。しかし、多くの写真などの資料から推定するとピ-クの高度には疑問が多い。また、地形についても幾つかの疑問を指摘できる。このことはFig-03のソ連地図の上にGoogle Earthから得られた稜線と氷河の位置関係のずれをごらん頂ければ明白である。氷河の舌端位置については撮影年代が40年以上ずれているので氷河の後退もそのずれの要因となっていると推定している。この研究は現在まで得られた情報から新たなる疑問を抽出したことが成果と考えている。先にも述べたように、今秋予定している偵察隊の観測がそれらの疑問に数多くの答えを出してくれることを期待している。

*5: 学習院 「チベット東部ヒマラヤ偵察行」(1999年踏査、報告書発行は2000年)

阿扎・拉古氷河周辺の山々-1


 Fig-02,03,04,05はこの研究報告の山域の詳細図である。松本徰夫氏、中村保氏の著書、2006年のシルバータートル隊が撮影した拉古氷河(Lhagu Glacier)内での写真、2003年の神戸大学隊の情報を総合して作成した山群のピ-ク群のスケッチがFig-06,07,08である。代表的なピ-クに番号を付与して識別することとした。マイナー・ピークや双耳峰については番号を付けずにマイナー・ピークとして扱うものもある。高度については悩ましく、出来るだけ先人の表記している高度を採用させてもらったが、明らかに高度に疑問のあるものはより近いであろうと思われる高度を採用している。しかし、その根拠を明確に説明できるものではないことをお断りしておく。高度の記述が得られなかったピークはGoogle EarthまたはNASA World Windから得られる高度を参考に数字を丸めて代表高度とした。Fig-06の標高でアンダーラインを付加したものは筆者の推定値である。








阿扎氷河の三姉妹峰(KG-1,2,3)

 2003年の神戸大学隊は最高峰と認識しているKG-1、若尼峰(Ruoni 6805m)の登攀に注力し、阿扎氷河の三姉妹峰の他の二つのピークにはあまり注目しなかった。その後の研究からKG-1,2,3がおよそ同程度の標高を持った立派な姉妹峰であることが判ってきた。特にKG-3(6726m)はソ連の地図には標高も示されていないので誤解されてきたようである。松本徰夫編著「ヒマラヤの東 崗日嘎布山群 踏査と探検史」には写真とスケッチでピークの同定がなされているが、本研究発表で特定したKG-4をソ連の地図における6443mピークとしている。筆者の同定ではKG-3とKG-4の間にKG-3-マイナーとしたピークがあり、これがソ連の地図の6443m峰と考えている。2003年の神戸大学隊が撮影した多数の写真やGoogle EarthのデータなどからKG-3は6700m以上の標高を有し、ソ連の地図の6443mピークの位置よりKG-2(6703m)に近い位置にある。また、「ヒマラヤの東 崗日嘎布山群 踏査と探検史」の付録地図ではKG-5(6200m)の存在についても無視されている。2003年の神戸大学隊の阿扎氷河から撮影したKG-5は美しいピラミダルな山容を見せている。

 さて、阿扎氷河のピークの存在についてはおよその関係位置が明らかになってきたが、この三姉妹峰について大きな疑問があるので述べておきたい。第一にどれが最高峰であるか、である。現在発表されている中に三姉妹峰が並んで写っている写真が2枚ある。一枚は中村保氏が撮影されたものでもう一枚は「ヒマラヤの東 崗日嘎布山群 踏査と探検史」に掲載されている同様地点からの写真である。前者はKG-3が一番高いように写っている。後者は逆にKG-1が一番高く見える。カメラを構える姿勢や合成のしかたで見え方が変わるので、写真で高さを比較するのは無理があり判断は出来ないが、まず一番に気になることである。NASA World WindやGoogle Earthから標高データを探ってみたが、2007年春から夏に掛けてデータが更新され以前とは違った数値が取り出された。したがって信用度には疑問があるが高い方からKG-1>KG-3>KG-2となっている。

次に疑問となるのは名前と標高である。最高峰と考えているKG-1、若尼峰(ルオニイRuoni 6805m)について幾つかの呼び名と標高を紹介しよう。

チョムボ峰  Chombo

キングドン・ウォードが南面の谷からアプローチして写真を残している。写真は頂上ではなく南東稜の肩ではないかと推測している。標高は22,000 ft.(6,706m)としている。

バイリーガ峰 Bairiga 白日嘎

察隅県地図(1/25万)にはこの名前と高度6882mが記載されている。中村保氏はこの名前を採用すべきとの意見である。◆ルオニイ峰 Ruoni  若尼

「西藏冰川」(中国科学院1986)には6610m、旧ソ連の地図(1/20万)には6805mと記載されている。2003年の神戸大学隊ではこの6805mと若尼峰の名前を採用している。

向日象辺峰 Xiang Ri Xiang Bian

メンバ族が崇拝する聖山である。 6820mとされている。これはInternetからの検索情報であり、出所の確認が必要である。そのほかにも多数の記述があり、更なる現地での聞き取りや文献を調べていく必要がありそうだ。そして、第二峰、第三峰には名前がないのか、あるいは、あるのだがまだ誰も確認していないのか。これも気になることである。


三姉妹峰(Ata 3-Sisters)の登路について

2003年の神戸大学隊の試登は最高到達点での活動が悪天候に阻まれてKG-1、KG-2ともにその上部の登攀ル-トをつぶさに観察する機会を絶たれた。登攀ルートの選択について詳しくは今後の偵察活動に委ねられる。Fig-05の登攀ルート検討図を参照願いたい。まず、この山群への南面からのアプローチについて結論を述べると、絶望的である。山脈の南西を流れる崗日嘎布曲は標高2000mから2500mの深い渓谷を成し、崗日嘎布山群の主稜線の南西面は断層と思えるような絶壁が連なっている。懸垂氷河は急激に高度を下げて谷氷河となり、舌端が標高2500m付近に到達している。反対に北西面は拉古の村で高度がすでに4000mを越えている。そして、拉古氷河(Lhagu Glacier)、阿扎氷河(Ata Glacier)が標高5000mラインを流下しているので山群の各ピークへのアプローチはこれらの氷河経由が妥当なことは明白である。三姉妹峰のアプロ-チについては当然のことながら阿扎氷河となろう。阿扎氷河は源頭から南西に流下し、4500m付近で崗日嘎布山群の主稜線を分断し北と南に分流する。南流氷河は崗日嘎布曲の支流、標高2500mにその舌端が到達する。北流氷河は標高4265mの氷河湖にその舌端を沈めている。KG-1とKG-2については氷河にル-トを開拓し、2003年に神戸大学隊が辿ったルートで5900m付近まで雪崩に注意しながらキャンプを展開すればよい。そこから二手に分かれてそれぞれのピークの上部にルートを求める。KG-3については阿扎氷河本流を詰めて第二アイスフォ-ルを超え源頭の雪原6000mに到達し、そこにアタック・キャンプを設営することになろう。
  さて、アプローチには誰しも疑問はないのだが、問題は6000mから上部である。KG-1(Ruoni)については急峻で雪崩の危険性の高い雪稜が行く手を阻んでいる。まだ誰もルートに確信を持てないのが実情である。KG-2は比較的傾斜の緩い雪稜を辿って頂上まで到達できるのではないかと期待している。KG-3は奥の院に一本支稜が下っているのでこれをルートとすれば可能性があるように見受けられる。いずれにしても崗日嘎布山群東部の峰々は大量の降雪とそれを落下させる雪崩により長年にわたって削り落とされた山肌がやせ細ってブレード状に薄い稜線を形成し、そこに茸雪が付着している手強い様相の稜線地帯を持っている。6000m以上は高度な登攀技術と安全確保が課題となるようだ。

阿扎・拉古氷河周辺の山々-2

KG-4(6290m,無名峰),KG-5(6325m,無名峰)

阿扎氷河の三姉妹峰については別途詳しく述べたが阿扎氷河源頭にある標高6000m内外のプラトー(奥の院)を取り巻くピークに着目する。ピークから東に約30km離れた徳母峠に近い道路から撮影された写真が何枚か公表されている。これらとGoogle Earthの画像から視線を分析した結果、KG-3(6726m)から時計廻りにKG-3-マイナー(6443m)、KG-4(6290m)、KG-5(6200m)が雪原を取り囲んでいることが解った(Fig-02参照)。KG-3-マイナー(6443m)はFig-03の旧ソ連の地図とGoogle Earthの画像から得られたスケルトン・マップの重ね合わせた図から明らかにKG-3(6726m)とは別のPeakであると判断した。KG-3はソ連の地図には標高が表示されていない。マイナー・ピークとしたのは徳母峠近くから撮影された写真から判断して明確なピークとは言いがたいためである。KG-4,5共に高度は推定である。KG-4は松本徰夫氏の著書では6443mとされている。ソ連の地図の6443mピ-クをそれと同定されたものと推測するが、前述のようにKG-4は別に存在する。2003年の神戸大学隊が阿扎氷河のC1付近から撮影したKG-3及びKG-5の写真はアイスフォールとその上部プラトーに分断されたピークが明瞭である。KG-5の登攀はこのプラトーに登るとルートがあると推定される。KG-4はKG-5の枝稜線が崗日嗄布山群の主稜線に合流し少し北西に外れたあたりにピ-クがあり、また、徳母峠付近からの写真に顕著に写っている2つの岩峰が行く手に控えているので、阿扎氷河源頭の雪原からのアプロ-チは保証されるものではない。アイスフォールを超えて阿扎氷河源頭の人跡未踏の雪原に登ることも興味深いことである。

 KG-5とKG-6(Zyaddo 5903m)の間には5500mの峠がある。拉古氷河(Lhagu Glacier)を遡るとやがて南方から支氷河が合流する。これを登れば阿扎氷河(Ata Glacier)へ越すこの峠に到達する。この峠越えもまた未踏である。




KG-6(5903m Zyaddo),KG-7(5699m Schuvina),KG-8(5598m Shana)

 阿扎氷河(Ata Glacier)の源頭から北に派生した尾根はKG-5(6200m)から一気に拉古氷河の南支流へ続くコル(5500m)に下り、KG-6(5903m Zyaddo)、KG-7(5699m Schuvina)を経て阿扎氷河北流端の氷河湖に終わる。この稜線は岩稜が連なり麓の拉古から良く見える。村人たちの目に留まり、松本徰夫氏も山名を調査している。しかし、この稜線が崗日嗄布の主稜線を遮って、KG-2、KG-3を未知のまま残したと言えよう。Zyaddoは3つの岩峰が連なった山塊を構成している。阿扎-拉古氷河のコル5500m寄りのピークが最も高いようだ。Schuvinaは2003年の神戸大学隊がC1を設立した裏山に当る。どちらも懸垂氷河が阿扎氷河に流下している。阿扎氷河の三姉妹峰の登路偵察にはZyaddo、Schuvina側に登り対岸からじっくり三姉妹峰を観察するのが良いであろう。

 KG-8(Shana)は南北に枝分かれして流下する阿扎氷河の分岐点に氷河の行く手を阻むように鎮座している。帕隆蔵布(Parlung Zangbo)を遡って拉古(Lhagu)へ向かう谷筋から前方に見えるのでこの方面を訪れたトレッカーから若尼峰ではないかと写真を添えて問い合わせられることがあるが、それはKG-8(Shana)とその前衛峰Maratsedup 5150mが重なって見えているものである。若尼峰は拉古からさらに谷を奥に進んで曲尺(Chutsu)へ近づく頃にようやくその頂冠部が姿を現す。





KG-9(6400m Luqendo-),KG-10(6400m Luqendo-)

  徳母峠近くの道路から拉古氷河流域の崗日嗄布主稜線の山々が遠望できる。拉古氷河の南支流(Lhagu Glacier South Fork)奥に君臨しているのがこのLuqendoである。KG-9-マイナー(6390m:旧ソ連地図に標高が記されている)及びKG-10-マイナーを加えて顕著な4つのピークで構成されている。KG-9は拉古氷河の南支流に派生した岩稜に顕著なニードル・ピークがあるので識別しやすい。2006年のシルバータートル隊が拉古氷河からLuqendoを撮影しているが、これはKG-10(Luqendo-Ⅱ)で、美しいヒマラヤ襞で装飾された鶏冠を思わせる頂上部を持っている。懸垂氷河がKG-10-マイナーとのコルに突き上げている。また主稜線から南面に巻き込むようにもう一本懸垂氷河がKG-10とKG-9-マイナーのコルから流下しているようだが詳細は不明である。旧ソ連の地図もこのあたりについては同様の描画がされている。これらの懸垂氷河が使えると登頂の可能性も見えてくるであろう。KG-9の登路については現状可能性を探る材料に乏しいが、極めて厳しい様相を持っている。標高については今後詳しい検証が必要である。仮にKG-9,10ともに6400mとした。

KG-11(6000m),KG-12(6423m Gongyada),KG-13(6127m Zeh)

 拉古(Lhagu)から拉古氷河を一望できるが氷河の右岸側に二つのピラミッド型のピークが聳えている。これらはKG-12(6423m Gongyada)およびKG-13(6127m Zeh)である。そのすばらしい姿は既に多くのトレッカーに知られており、諸外国からの登山申請も出されているようだが、中国当局から許可を得たというニュースはまだ耳に入ってこない。KG-11(6000m)はKG-12の左手、崗日嗄布山群の主稜線上にあり拉古からは見えない。この三峰は崗日嗄布山群の主稜線が北西から南東に走っているのに対して南北に並んでいる。別名として高い方から順番にHiqen-Ⅰ,Ⅱ,Ⅲとも呼ばれているようだ。
 拉古氷河の下流から二つ目の南方から流下する氷河を詰めていくとアプローチが可能であろう。山塊の盟主、Gongyadaの登路は東稜に可能性があるが、急峻な氷と岩のミックスしたリッジが氷河から標高差約1100m、頂上まで続いている。途中にテントサイトはない。ラッシュ方式の登攀となるであろう。


KG-14(6100m), KG-15(6321m), KG-16(6250m)

 KG-13(Zeh)から崗日嗄布山群の主稜線は一旦アイスキャップの下に隠れKG-14から再び頭を現して北西に連なっていく。この氷原の氷は北に流れて拉古氷河となる一方で南に流れて二分した懸垂氷河となりSongyu Quに注ぐ。二分した所にはインゼルとなった標高およそ5600mの雪のピークがある。2006年のシルバータートル隊が幻想的な写真を撮影している。KG-14,15,16は拉古氷河の上流まで入って初めてその姿を見ることが出来るのでシルバータートル隊がその姿を明らかにするまで未知のまま残されていた。標高についても公表された地図により様々で疑問である。KG-15の標高6321mは旧ソ連の1/20万の地図のものを使っている。

KG-17(6405m), KG-18(6450m Gemsongu)KG-19(6260m Hamokongga)

  拉古氷河の源頭にあるのがKG-18(Gemsongu)である。KG-17は拉古氷河上流から撮影された写真を見るとド-ム型の頂上稜線を持ち、ヒマラヤ襞で防御されている。KG-17から主稜線はKG-18 (Gemsongu)に続く。稜線には細長いテラス状の氷原があり、アイスフォ-ルを下って拉古氷河に流下している。拉古氷河をとことん詰めて行けばこの氷原を経由してGemsonguの頂上に道が開けるのではないかと思わせる地形を持っている。Gemsonguは中村保氏の著書にも松本徰氏の著書にも美しい姿の写真が掲載されているので参照されたい。どちらも北東の米堆(Midoi)氷河から撮影したもので、険しい様相をしている。拉古からは拉古氷河の源頭に頂上らしきものが見える。

  KG-19( 6260m Hamokongga, Dojizandoi) は拉古から拉古氷河の左岸に聳えて見える。しかし、このピークは拉古氷河の分水稜上にはなく、北東側の谷に鋭い岩峰となって張り出している。登路は拉古氷河からのアプローチが良さそうに見える。


KG-20(6100m Genikutz)

 KG-20は拉古氷河流域から外れて一本の線となった崗日嗄布山群の主稜線上にある。このピークから北西にはKone Kangriの山塊まで6000m峰は存在しないようだ。崗日嗄布山群西部がこのGenikutzから始まるのだが山座同定はこれからの研究課題である。

終わりに


 2006年5月、ルオニイ峰の再挑戦を宣言し、山を勉強しようとNASAのWorld Windから.崗日嗄布山群を探し当てた。当時はまだ阿扎氷河あたりの画像は鮮明ではなくまた標高データも信頼が置けないものであった。そしてデータから推定すると阿扎氷河の三姉妹の第二峰KG-2が一峰KG-1(ルオニイ)より高いのでてっきりこれがルオニイであると誤解したことに端を発し、資料の見直しを始めた。そして次々に疑問が発生し、この際徹底的に地域研究をしてみようと思い立った。まずはスケルトン・マップを自ら作成すれば良く分かるだろうと作り始めたが、過去の踏査隊の報告や古い地図、それに中村保氏の著書から得られた情報を地図や俯瞰図に書き下ろし、利用できるようになったGoogle Earthの画像と比較して対象とした20座のPeakの同定に没頭した。そして2007年7月にこの研究報告に記載したいくつかの資料を完成させたのだが、タイミングを合わせるように松本徰夫氏の立派な「.崗日嗄布研究」が発表された。そこでもう一度内容を見直し、松本徰夫氏の先駆的研究に敬意を表して地名などの標記を氏の著書と合わせることとした。氏の本を合わせて読んでいただけるとこの研究の視点の違いが解っていただけると考えている。

 2007年9月中旬、待望の登山許可の知らせが中国から届いた。いよいよ阿扎氷河の三姉妹峰の謎と登攀ルートの解明がなされる機会が訪れた。筆者の研究結果が検証されるわけである。偵察隊の報告を待って検証結果を「山と人17号」に追加投稿できれば幸いである。