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中国地質大学との合同黒部合宿2007年8月15日~19


2008年に崗日嗄布山群(カンリガルポ:Kangri Garpo Mountains)に合同隊を派遣すべく中国登山協会、チベット登山協会に中国地質大学(武漢) 経由で登山許可申請をしていましたが、来日のリーダ-である董范(Dong Fan)教授から9月中旬には正式許可が下りるとの嬉しいニュ-スが伝わり、黒部合宿の励みとなりました。合宿には、中国地質大学(武漢)から董さんの他に4名(牛小洪(Niu Xiao Hong)、周云(Zhou Yun)、石磊(Shi Lei)、趙 冀娟(Zhao Yi Juan 通訳)、女性))が同道、神戸大学山岳会からは 井上(達)、山田が参加、神戸大学山岳部からは岩澤、伊藤、山川が参加しました。台湾出身の山岳部員、林君は通訳を期待していたのですが、入山時の折立キャンプで夏風邪をこじらして撤退し、総勢10名の山行となりました。 

秋のルオニイ峰6805m(崗日嗄布山群)偵察に向けて、打合せと合同隊のパ-ティシップ構築を目的に来日したわけですが、8月11日~14日は神戸で会議を主として、1988年に董さんがチェルー山合同登山に参加している関係から、北口先生や竹内夫妻、武智、川端などの当時の隊員がパ-ティや神戸観光の世話をしてくれました。



815日 折立にてキャンプ 測量実習

午前9時、中国の一行が宿にしていた神戸大学・学而荘に山田が車で迎えに行く。一方井上が山岳部の伊藤、林を近江八幡駅でピックアップした。心配していたU-turnラッシュも北陸自動車道に入ると解消され、2台が合流した後は快調に立山インタ-へ進んだ。4:20P、有峰湖から折立に到着すると夏合宿から直接やってきた岩澤、山川と合流、さっそくテントを張って夕食の準備に取り掛かった。

運んできたトランシットを持ち出して基本的な操作とデータ解析の実習を日中偵察隊隊員達が実施した。キャンプ場の裏山に目立つ松の木があり、それを目標に測量実習していたが、結果は精度が悪く、さらにトレ-ニングが必要と思われる。井上はしばらく使っていなかったGPSの操作に没頭、近年の技術の進歩に感心しながら、これは崗日嗄布の山座同定にも役立つな、との確信を得る。24個あるGPS衛星の6個が捕捉出来ると精度が6-7mと表示される。Google Earthなどのデータも活用すればかなりの精度でルオニ-峰とその三姉妹峰の測量ができるのではないか。
すっかり暮れたころ、ラテを点灯して夕食を頂いた。

折立のキャンプ場
日中合同の合宿が始まる
折立のキャンプ場で測量実習に励む日中の偵察隊員たち


816日 晴 
折立-太郎平-薬師沢出合-赤木沢出合下流400m、黒部本流キャンプ
 


5:00A 折立出発
 

37℃~39℃という猛暑の下界の暑さはここにはないものの日中の日差しはつらい。皆が早めに出発し、出来るだけ高度を稼いでおこうと早足になる。樹林限界が2000m程度の尾根は2196mのピークの登りになると日差しを遮るものがなくなる。薬師岳の山頂越しに朝日が差し込んでくるとじわじわと暑くなりだした。 北アルプスのこのコ-スは人気があるらしく、登山道は良く整備されている。幅広く踏み荒らされて地肌がむき出しになった歩道の両側に莚を敷いて植物が再生するように手入れされている。

9:15A
太郎平到着
 

↑太郎平にてこれから黒部本流に下る

 ここで知らされたのだが、最近の山岳部の山行では行動食は各自が準備することになっているそうだ。それを知らされていなかったので中国チ-ムと
OBチ-ムは行動食なしでこれから3日間を過ごさねばならないことになった。何年かぶりに現役と行動を共にするので何かと変わっているだろうとは思ったのだが、これには驚愕。そういった面から見ると今回の合同合宿はシニアOB、現役、そして中国と、3異文化の交流でもあった。太郎平から見る黒部源流と周囲の山々は雄大である。雲ノ平を中心に後方に水晶岳、鷲羽岳、三俣蓮華岳、黒部五郎岳が屏風を形作っている。40年前の秋に訪れているのだが、その時は雲に隠れて展望が利かなかったようでこの景色は記憶にない。中国の連中も喜んでいる。薬師沢への尾根道を下ったところの沢で一服し、大半が木道で良く保全された登山道を進みカベッケの草原を出合に急ぐ。

11:45A 薬師沢出合
 
 
太郎への登りから遅れ勝ちであった牛さんとともに薬師沢出合の小屋に到着すると岩澤君が「公園監視員という名札をつけた人がキャンプできませんよ、と言ってきました。」と困り顔で相談してくる。黒部本流の川原で地下足袋、草鞋に履き替えていると、その監視員がやってきて警告を受ける。「はいはい、では時間も早いし、雲ノ平まで抜けましょう」と応えるとすんなり引き下がっていった。このあたりはキャンプ場が太郎平と高天原にあり、それ以外はキャンプが禁止だとのこと。これらのキャンプ場は従来から沢登をする登山者を対象としたものではないので、黒部の源流を遡行するには沢で夜を過ごさねばならないが、その人達まで規制しなければならなくなったのだろうか。登山人口は減っているようにも思うのだが。地下足袋、草鞋で黒部の源流に入ると水はさすがに冷たい。中国チ-ムは地下足袋、草鞋に疑心暗鬼になっている。水にそろりと入って心配げに歩く。バランスも悪く遡行の速度が遅い。まあ、そのうち慣れるでしょうと気にしないことにした。趙さんは半泣きで渡渉している。日差しが暖かいので気持ちが良い。井上は
40年ぶり、山田も30年ぶりで怪しげな記憶で先に進む。赤木沢の出合にあと400mのところから出合まで函が続くのだが、そこで山田の判断で川原にてキャンプすることに決めた。キャンプの目前の瀞には時折結構な形の岩魚が姿を見せている。中国チ-ムはずいぶん疲れたことだろう。晩餐までゆっくり過ごす。夜は星空が美しい。雨の心配はなさそうだ。

太郎平に向かう尾根から剣岳遠望
下界の暑さはここまでは届かない
太郎の小屋から薬師岳
黒部五郎岳
薬師沢小屋から黒部川の源流に入る。草鞋の着け方を山田から習う石君。
彼は石の字が4つあることから四頭(ストン=stone)と言うニックネ-ムで皆に親しまれている。
草鞋が馴染まないのでそろりそろりと黒部の谷を進む
河原で夕食が出来るまでの時間を中国将棋で過ごす董さんと山田。
山田はめっぽう強いようだ。どこで習ってきたのだろう。


817日 晴

 A-Party: 岩澤 山川 伊藤 井上

:
赤木沢遡行-黒部五郎岳2840m-五郎沢下降-黒部本流-キャンプ
 
6:20Aテントサイト出発  

昨日の山田の判断は正しかった。多くの荷物を持って赤木沢出合手前にある魚止の滝を越したり、その手前の函を渡渉したりするのは初めて沢歩きをする人達には酷である。空身でも赤木沢出合まで20分かかった。魚止の滝は右岸をへつる。ハーケンが2本残地されていた。サブザックでの移動には何の支障もないが荷物があったら少し難儀かな。赤木沢出合はカスケードにガードされた美しい瀞、本流川上には2m程度の高さの堰のような滝もある。赤木沢は両岸が壁で仕切られ、奧には明るい滑が続いている。淵の水は緑色。翡翠色と言っていいのか。山田が赤木沢の左岸に黒部本流の左岸からへつって入ろうとして、滑って胸まで水に浸かった。静かで美しいこの出合いはそんなことも緊迫感が出てこないほどに神々しい。これをもって赤木沢は日本一美しい沢と言うのではなかろうか。赤木沢には黒部本流の左岸から入る者、右岸の兎平側の側壁から上流の滝の下を対岸に渡って淵を腰まで浸かって赤木沢の左岸に渡り返す者など、好き勝手に沢に入ってきた。今日の赤木沢遡行から五郎沢を下るラウンドについては昨日中国チームと相談し、中国側から無理をしないとの申し出があった。それにしたがってパーティを割ることとした。山田が率先して中国チームに付き合ってくれることになったので赤木沢を登ったことのない井上がラウンド組に入れてもらった。
遡行パ-ティは赤木沢に入ってまもなく散策パーティを残して先を急いだ。井上は今日が還暦、60歳の誕生日だ。黒部源流の赤木沢で還暦の誕生日を祝うとは、山男冥利ではなかろうか。ずっと黙っていようと思ったが、嬉しさから今日のパ-ティの若い面々に告白してしまった。

黒部本流魚止の滝
右岸をへつる
赤木沢出愛合は直ぐ上流
赤木沢を覗く山川君
赤木沢入口から黒部本流の滝を望む
これぞ日本一美しいと言われている赤木沢出合の瀞

左岸に立っているのは周さん


7:00A F-1(1/25,000地形図に記されている最初の滝) 

滝は何段かに分かれた連瀑となっている。4人は好きなルートを選んでスイスイと登っていく。山川君は水際が好み、伊藤君は乾いた場所を選んでいく。岩澤は名前のごとく両方を混ぜて歩く。井上は易しい場所選び。楽しいので次々と現れる滝をひたすら登り続ける。一眼レフデシカメを胸にぶら下げた井上は登りにくそうにもせず20代の若者に遅れてはならぬと息を切らす。F-1を過ぎるとしばらくゴーロを歩きF-2の連瀑が現れる。これを過ぎると二三、小滝を越えてゴーロを進む。

F-1
小滝が連続する連瀑は明るく楽しい。ついつい早足になってしまう。
F-2
ここも連瀑になっている。滝をいくつも越えていく
空はどこまでも青く
水は深い緑色に透き通っている
中には胸まで浸かって滝に取り付く
滑を超えシャワ-クライムを楽しみ
ゴルジュも明るい


7:50A 大滝  

ゴーロの奥にドンと一枚岩の岩壁がそそり立っている。時間が許すならザイルを使ってロッククライミングで越したいところだ。右端のチムニーに水流がある。落差は30mぐらいか。単独の登山者が我々と前後して登っていたが、彼は少し下流の左岸の巻き道を登っていった。我が若者は果敢にも水流に近い左岸の側稜に取り付いた。岩澤はさらに水流に近いリッジにルートを求めている。井上はそのリッジの右のブッシュに踏み跡を見つけ楽々登って滝の落ち口に立った。伊藤、山川も続いて登ってくる。岩澤にルートを指示して彼も無事に落ち口に登ってきた。ザイルが必要な場所ではなく、少し物足りない感じを残して赤木沢核心部が終わった。

赤木沢大滝
右手のリッジにル-トを求める

9:00A 中俣乗越  

大滝を過ぎると見る見る水量が減少、最後の水流で水筒を満たし、薮との格闘を覚悟して沢から離脱した。ほんの10m程度の藪漕で残雪の消えたお花畑、緑の草原に出た。なんとも心地良い場所である。しばらくこの天井の楽園を楽しんで重走路に出た。こちらから見る薬師岳から水晶岳への屏風も雄大だ。赤木沢を詰めたのだから記念に赤木岳に登ろうかとも言ったのだが、ここから見るとあまり魅力あるとは思えないので衆議一決、先を急ぐことになった。縦走路はにぎやかだった。シルバー組がメジャーである。とりわけ女性が多い。

10:40A 黒部五郎岳2840m頂上 

井上は若者達に遅れること10分で山頂に着く。4人そろって写真に収まった。山頂は時折流れてくるガスに包まれるがすぐに晴れ渡り、遠く御岳まで眺めることが出来た。

11:10A 五郎沢源頭のカール

雪渓の残るカールに下る。岩床を流れる清水と高山植物に包まれた広々とした谷は心が休まる。ここらで仰向けに横たわって昼寝でもしたいのだが、若者達は待ってくれない。そんなに急いで何が楽しいのか、山をもっと味わおうよ、と言いたいのだが、声を掛けるには遠すぎる程にどんどん下っていく。

1:00P 黒部本流五郎沢出合 

釣り人二人が本流を登ってくる。形のいい岩魚が一尾腰にあった。夕方、キャンプでくつろいでいると下ってきたが、二人とも数匹が腰にぶら下がっていたので尋ねてみた。「五郎沢出合から奥でないとだめですね」との返事。

2:20P テント帰着

五郎沢出合から赤木沢出合までは一時間、それから20分で帰幕。
夕方になって二人の登山者が薬師沢方面から登ってきた。「40年ぶりに来たのですが、確か、赤木沢で会いあたりにテントサイトがあったですよね。」と話しかけてきた。「もう時間も遅いし、出合まで20分は十分かかりますよ。それにパンツが濡れるかもしれないし。」などの会話から昨日テントを張ろうとして整地した河岸段丘の場所を紹介した。しばらくして「虫だらけてたまらん」といって川原に下りてきた。結局我々のテントの上流側、函の始まる手前水際に移動された。彼らも監視員に声を掛けられたとのこと。

B-Party: 山田 董 牛 周 石 趙
 
: 赤木沢F-2まで往復
中国チームも小滝の連続する日本一美しいと謂われている赤木沢を楽しんだ様子。F-2まで進んで釜に胸まで浸からないと取り付けない滝の手前で引き返した。それから半日のんびりと黒部源流の陽だまりで静かな時の流れを楽しんだ。


818日 曇 後 晴

太郎平経由折立に下山-妙高、笹ヶ峰にてキャンプ

昨夜はパラパラと雨が降ったがすっかり乾いた河原の砂の表面を少し湿らした程度だった。そして、黒部源流は長く続いた晴天のため水量は少なく、川原でのキャンプに大きな不安もなく二日間を過ごすことができた。
出発準備が終わる頃、岩澤君が隣人の素性を教えてくれた。「関大のOBで金井良碩さんをしっているそうですよ」と言うので井上と山田が挨拶に行く。ウツギ氏?と記憶したが間違いかもしれない。金井さんに機会があったら聞こう。話が弾んで羊羹と日本茶をご馳走になった。
5:45Aテントサイト撤収、出発 
ワンピッチではあるが、地下足袋、草鞋で黒部本流を下る。中国チームの足取りは二日前とは雲泥の差で軽快だ。沢に慣れたということだ。女性の趙さんが特に進歩したように思える。

6:377:10A 薬師沢出合

ここで登山靴に履き替える。小屋のトイレを借用する者もあり、大休止。今日は牛さんも調子が良いようだ。皆が調子がよいと井上の年齢が表に現れてくる。カベッケの草原から木道を早足で進み、左俣の橋を渡ってしばらく進んだ場所のベンチで一服。次のピッチは太郎への登り道になるのだが、皆元気に歩き、ニピッチで太郎に着いた。
9:009:40A 太郎平
コーン・フレークと水で作れるカフェラテが昼食として支給された。予備日の食料である。三日間で初めてのしっかりした行動食。なかなか良いメニューだった。

12:40P 折立
 
太郎からは若者組が走るようにして下るので追いかけるのがつらい。山田、牛、井上がしんがりで下る。牛さんが左足首を捻挫してしまった。彼は日本に来る二週間前に右足を捻挫してやっと治ったところだったそうで、右足を庇うために左に負担が行ったようだ。痛い足を庇っての下山はつらかったと思う。折立がすぐ傍になったころは足の筋肉が限界に近くなっていた。しかし、荷物を取ろうと言っても最後まで聞かなかった。ご苦労様。
 折立の登山口で全員の記念写真を撮って無事今回の合同合宿を終えた。


 武漢チームの次の予定は妙高にある国際アウトドア専門学校(http://www.i-nac.ac.jp/)との交流。引継ぎは20日で19日には上越市のホテルに届けてバトンタッチする手はずである。そこで本日は妙高高原でキャンプすることとした。打ち上げのパーティもやろうと一路妙高を目指した。上越市のスーパーで焼肉の材料を買い込んで妙高に行く。当然の事ながら日本の温泉を経験してもらう。そこで妙高池の平にて温泉に入り登山の汗を流した。バーベキューパーティでは日中歌合戦で盛り上がる

819日 晴

日本名瀑100選に入っている苗名滝を見物後上越市に中国チームを送り届けて散会

2007/8/24 井上達男 記

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