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堂ケ森1689m二ノ森1929m ハイキング

日程  2010年8月1日 日帰り
メンバ− 白形洋 山田健 井上達男
登山ル−ト  梅ケ市 ⇒ 主稜線 ⇒ 堂ケ森1689m ⇒ 二ノ森1929m ⇒ 堂ケ森 ⇒ 梅ケ市

 2010/7/31 神戸大学学友会愛媛支部の懇談会があった。白形洋会員の発案でこの会でロプチン峰6805mの初登頂の講演をすることになった。山田健と井上達男が出席し約20名の卒業生に初登頂の報告をした。持参した山と人18号を5冊買っていただけるなど、講演は好評であった。
 その夜は道後温泉近くに新築された白形洋さん宅に泊めていただき、奥様のお世話になった。松山まで来たからにはどこか登って帰ろうと、山田健さんに山を探してもらったら、堂ケ森と二ノ森を推薦されて即座に決まった。ニノ森1929mは四国で三番目に高いピ−クだ。
登山記録

7:57 梅ケ市の民家横の空き地に駐車。出発




白形洋が事前に訪問下調べして住民にこの場所での駐車の了解を貰っていた。引退を契機に東京から故郷に移り住んだと言う主は不在であった。 白形が用意した心づけの品が活用されなかった。庭にはたくさん花が咲いているし、まわりの畑は良く手入れされている。茅葺を止めた白い鉄板と赤い鉄板の鮮やかな屋根が目立ちすぎるが、茅葺を期待するのは無理があろう。

堂ケ森への登山道は主稜線の南北に二つある。北側からは鞍瀬川を遡って保井野の集落の上(560m)から主稜線に取り付くものと、南側からは河内から一旦黒森峠を越えて(おも)河川(ごがわ)の上流にある面河ダムに出て、市(750m)に入ってそこから分水嶺に登るものがある。 白形は少し高いところから出発できる梅ケ市ル−トを推薦してくれた。

井上達男  白形洋

白形洋 山田健


 天気予報は午後から晴れるということであったが、朝から雲に覆われていた。松山からは石鎚山も堂ケ森、二ノ森も見えるということだが全く見えない。しかし、猛暑の夏、曇っているほうが歩きやすい。それでも出発してすぐにどっと汗が出た。駐車した民家の庭先から谷沿いに草深い踏み後を辿ったが最近歩かれた様子がない。左手、右岸に林道がありそうなのが杉の植林を通して見える。適当なところから林道に出たら登山道の道標が立っていた。

林道は梅ケ市の集落を過ぎた上のあたりから植林のために付けられたようだ。地形図の道は谷を詰めて南から主稜線に登るル−トに記されているが、これは廃道となっている。新しい登山道は本谷を少し詰めてすぐに左手の支流の樹林に入ってさらに左手の尾根に付けられていた。尾根は急坂で効率よく登るが、白形にとっては厳しい登りだ。彼が脈拍を測れというので測ってみたら96だった。彼は120ある。山田健がゆっくり先導しているのだが、なにせ巨体の白形にとってはその体を持ち上げるのが大変だ。


9:53  白形が苦しそうなので2ピッチ目の休憩を早めにとった

が、ブヨの大群にからまれて先に進むことにした。井上は左腕を二箇所刺された。アブにも一箇所やられた。山田も白形も虫には強いのか、刺されなかったようだ。


10:10 1468m
ピーク
 

ここまで来ると少し風もあってブヨの数は減った。2ピッチで約700m登ったのだからそんなに遅いわけではない。 白形は2時間が限度だといっていたが、この調子なら堂ケ森に登れそうだ。1468mピークを過ぎたあたりで 白形が「君達先に行け」、ということで山田と二人で先行する。

10:54 堂ケ森1689m 頂上 

 堂ケ森頂上には大きな反射板が立っている。日本の山はこうした無粋な生活用具がすばらしい景観を損ねるが、これから心の豊かさを求める時代が来るべきだか、まだまだ日本人には心のゆとりや自然を大切にする気持ちは薄い。


1468mピ−クで休憩する


堂ガ森1689m頂上の電波反射板


堂ガ森への最後の登り。右後方は1468mPeak

 白形洋()、井上達男


堂ガ森1689m頂上に立つ井上達男


11:15 峠出発

 登山道は堂ケ峰の南側を巻いて二ノ森へと続いている。頂上へは峠から少し外れて到達する。登山道に戻ってくると、 白形が苦しそうに休み休み登ってきた。山田と二人で二ノ森へ行ってくることを告げて、彼には先にゆっくり下山してもらうことにした。

12:22 二ノ森1929.2m 頂上

 尾根筋の登山道は笹原の中を行く。所々フウロ草などの花々が咲いている。笹が瑞々しい葉を伸ばしている。笹は背丈が高いところで腰まで、低いところでは膝ぐらいまでで視界をさえぎることがないので不快感がない。薄いガスが山脈全体を包んでいるので視界は良くない。きっと瀬戸内海や松山の街並み、そして南にはひょっとして太平洋が眺められるのではないかと想像しながら二ノ森に急ぐ。アザミの花がたくさんある。綺麗のだが、チクリチクリと手足を刺す。トウヒの木が結露を促進して北斜面の笹が濡れている。ズボンを濡らす。笹に覆われた足元が時々踏み跡に出ている岩を隠していて、これに躓いたり滑ったりで気を使いながら登った。二ノ森に着くと登山者一人が休んでいたので山田の新しいニコンのカメラで記念写真を撮ってもらった。


ニノ森1929m頂上の山田健と井上達男


笹原の中に可憐なフウロ草


13:40 堂ケ森 山頂の峠

下山は同じ道を引き返すのだが、「おや、こんな所を通ったかな?」と180度視点が換わると山の印象がずいぶん異なる。二ノ森頂上付近は稜線が狭く笹と岩とミックスした踏み跡にトウヒが転々と続いている。ピークを一つ巻くのだが、巻き道は踏み跡が少し乱れていて歩きにくい。トラバースを終えるとなだらかで広い尾根を最低コル1580mまで下る。地図には南の斜面を少し下った谷に避難小屋の印があり、踏み跡が続いているのだが、視認することはできなかった。堂ケ森頂稜の峠に100mほど登り返すのだが、ここまで山田の後をついて来た体力が切れてゆっくり登ることにした。時折鶯の鳴き声が聞こえるが風も緩やかで静かな山だ。

峠で一服してここから一気に梅ケ市へ下る。

15:22 梅ケ市帰着

  途中、尾根の999mで一服した。700mをワンピッチでくだった。太腿が熱くなった。最後は林道に出てしばらくすると梅ケ市集落の上外れに出た。登りの踏み後は草深くて下山時には使わなかった。白形は14:30に下山したとのこと。


井上、山田の下山を待っていた 白形


谷の清水を引いた生簀


民家の庭先に谷の水が引いてある。冷たくて美味しい水で疲れを癒す。


 高松市在住の久保谷幹夫会員から便りがありました。神戸大学学友会愛媛支部の懇談会への参加を呼びかけましたが、氏は別の予定があって参加されませんでした。会員の皆様も四国へ出かける機会には一声かけてお出かけください。手紙の内容を転記します。
◇◇井上達男宛のはがき◇◇
拝啓
 猛暑が続きますので毎夕の野菜への水やりがまるで拷問のようです。
 先般は暑い中、松山へお越しの由、ご苦労さまでした。四国は今、「坂の上の雲:愛媛」「竜馬伝:高知」「阿波おどり:徳島」とブ−ムのようです。白形さんから貴兄のご来訪の報をいただきましたが、ヤボ用のためご厚情にむくいることがかないませんでした。堂ケ森、ニノ森の稜線はいかがでしたか。昔から愛媛の地は松山、新居浜、西条ともに山と渓が近く、宗教登山、学童青年集団登山の時代から、地域の認識と理解が深いようです。  
 山岳会の同輩も年を加え、これからは昔の仲間との山行も少なくならざるをえません。口蹄疫の直前、九州旧国全てを車中泊、民宿で廻り、一ノ宮、国分寺跡、国府跡をめぐりました。山は尾鈴山(若山牧水の故郷で、瀑布群で有名)高千穂峰に上がりました。7月中旬には「青春18キップ」で草津線関西本線などで伊賀上野、鈴鹿などの国分寺跡、東海道関宿などをめぐりましたが、やまが遠くなり方向転換となりそうです。景気芳しからず、若者の閉塞感など大変な時代のガジとりご苦労様です。今後ともご活躍下さい。 (2010/8/12 消印 久保谷幹夫様)