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(例会特3)四国花の山旅

           (L;久保谷幹夫、S・L;壷阪祐三、会計;本澤武次)

この3月、壷阪農園での竹の子採りのあと、例によって「ワイワイガヤガヤ」の飲み会中、皆で「四国の石槌・剣は終わったので、それ以外の山、花、旧跡・お寺」をめぐりたいなということになった。それには四国を習熟され、博覧強記の「高松在住の久保谷大兄にお願いしよう」、「久保やんは詳しいぜ」(同期の俊さん)、という事になった。

2008年5月7日より、6日間、関西から5人(田中俊甫、田中信行、原田、本澤、高田)が車で出発、伊予西条で、久保谷車(壷阪さんは、高松で久保谷車に合流)に合流してもらった。

いつもの愉快な仲間と山(5座)、温泉3箇所、歴史探訪・お寺を満喫しました。天気に恵まれた事もあるが、実に素晴らしいツアーでした。久保谷大兄に計画・ガイド・調達・運転 何から何まで面倒を見ていただきました、感謝感謝です。

山を初めその他の詳細は記録を御覧いただくとして、小生(高田)は、大変感動した「別子銅山」跡について触れてみます。(高田記)

記録


2008年5月7日;移動日

 

 田中信車にて、(田中俊甫、田中信行、原田聡、高田和三、本沢武次)5人神戸出発〜伊予西条にて久保谷車(壷阪は電車で合流)と合流し、7人の侍ならぬロートル「山屋」がそろう。スパーで食品など購入後〜国民宿舎石鎚土小屋泊。


2008年5月8日


 早朝岩黒山(1745m)ピストン後〜車で移動しながら瓶が森(1896m)、伊予富士(1756m)に登頂後〜道の駅(木の香;温泉泊)。

*  稜線沿いに瓶ヶ森林道が通じており、3−4百mのピストンで、3ピークを満喫、主峰石鎚を西に見ながら、汗みどろ。あけぼの躑躅・ミヤマキリシマ等ピーク過ぎだが、散見。

* 村営の(木の香温泉)が素晴らしい、早明浦ダムの上流のせせらぎ脇の別棟の木作りレストランで手作りのデナーを満喫する、地酒が格別。

 「石鎚を 背に咲き競う アケボノツツジ」 壷阪山雲

2008年5月9日

59日;笹ヶ峰登山と移動日。食料調達、讃岐うどん体験。

新寒風山トンネル(国道194)〜笹ヶ峰(1859m)往復〜伊予西条(国道11)〜新居浜(県道47)〜筏津(坑道跡見学)〜別子山森林公園(ゆらぎ館)泊。

 雨模様の中2台で移動、笹ヶ峰はスキーゲレンデがあったとか、丸山小屋からがきつい。昼の本場の讃岐うどんは流石が美味くて安い。日本海まで(10数キロ)通っていたという、銅山坑道の入り口を見学後、コテッジ風で、ご夫婦で運営されている(ゆらぎ館)へ雨の中なだれ込む、貸切なり、「今から湯を入れる」にはありがたし。

2008年5月10日(土)


雨の中2班に分かれて出発。

A;別子銅山跡〜銅山越、追体験組(久保谷、田中俊、壷阪、高田)。

朝「ゆらぎの森」(悠楽技;ホテル)出発、日浦登山口にてパーキング。

記録;AM8時15分出発〜ダイヤモンド水、接待館跡、学校跡、病院跡、劇場跡〜歓喜坑跡〜蘭塔場〜銅山越〜下山(12時30分着)。

* 小雨がやまず、かつ連日のフル行動の疲れもあり、西赤石山(1626m)には登らず。

* 別子銅山は、泉家(現在の住友)が幕府の認可を得て、元禄3年(1691年)採鉱開始、1973年(昭和48年)閉山した。その間約280年、一時は世界第一の産銅量であったらしい。

*  現在は、石垣しか残っていないが、その規模(たとえば1000人以上収容できた劇場跡或いは、学校・病院跡などから)が偲ばれた。電気のない時代に、海底にまで何キロも掘り下げた坑道跡、木炭で精錬した跡など、その努力に感銘を受けた。

* 狭い坑道を、人力で運輸した先人の工夫、採鉱滓を沈殿させた施設、或いは山脈の裏側の川(銅山川)へ、廃水処理の後、流した知恵にも、感心した。

* 現在は、住友林業・鉱山のバックアップがあるものと推測するが、愛媛県の自然環境保全地域として立派に整備されている。

*  最近の我々は、産業界の裏面(公害や、排ガスなど)にのみ焦点を当てすぎ、海外から資源を輸入すれば良いという、安易さが目に付く。現実に真正面から立ち向かう姿勢を

 見失っているようだ。先人達の、このような工夫と知恵が、世界に冠たる日本の公害防止技術に繋がっていると見た。

最後に、久保谷さんは勿論であるが、ステントを推して参加いただいた俊さん、信さん・

壷阪さん、三嶺へ執念でたどり着かれた原田さん、デポジット方式で、会計を締めていただいた本澤さん、ご一緒いただいた6人の皆様、愉快な山行を有難うございました。(この項:高田記)


B;マイントピア別子など見学組(田中信、原田、本澤)。

     「銅山の 跡はおぼろに 咲くつつじ」 壷阪山雲

* 四国習熟の久保谷リーダーの臨機応変の指示の元、阿波池田の先の大歩危ユートピアで合流。携帯とナビが実力発揮。祖谷口から国道32号を南下、かずら橋は俗化のためパス『800円はもったいない、眺めるだけで充分』。東祖谷京上「吉田旅館」泊。
* 吉田旅館は文字どうりの民宿で、そばを打ってもらった、そのため夕食が遅くなる。過疎化が進み、「村民募集」に4人が応じる但し村民税ゼロ。いよいよ明日は、三嶺なり。


    「未だ寒い かずらの橋を 渡る風」 壷阪山雲

2008年5月11日(日)

三嶺登山口まで車、往復6,5時間のアルバイト。

*  三嶺(1893m)の頂上直下に小湖・傍らに立派な避難小屋あり、曇っていて太平洋は見えず、しかし、はるかかなたに我々が2−3日前に登った石鎚山周辺の山々が見える。しんどかっただけに感動もひとしおなり。野犬が子狸を刈取るのを目撃す。

* 30分遅れで頂上にたどり着いた原田さんを拍手で迎える、あったかいビールで乾杯。

* 剣山ドライブウエー(国道438)〜美馬市〜市場町(金清温泉・白鳥荘)泊まり。


(注;下山後、聞くところによるとこの犬は三嶺登山者には有名で、多くの登山者がエサをくれるためよくガイドを勤め、特に霧の時は助かるそうです。)

512日;観光、見学、移動(帰阪日)

* 八代高校・古希の会『四万十』へ参加の田中信さんをJR阿波山川駅へ送る。

* 脇町(町並み保存)(ウダツの由来を知る)。四国八十八札所「88番;大窪寺」(讃岐)

「1番;霊山寺」(鳴門)の2寺、車で、最後と最初を駆け足参詣、打ち上げ最終は高野山ナリ。

* 途中でいただいた「たらい饂飩」が格別。久保谷リーダーと霊山寺で別れ、帰阪組は淡路鳴門高速〜岩屋・明石フェリーで帰る。

総括

(1)   四国の100名山(石鎚、剣山)は各人登っているが、2山以外にこんなに素晴らしい5座を堪能できた。温泉、別子銅山跡見学、八十八札所にも参詣した。

(2)   途中1日雨であったが、久保谷リーダーの臨機応変の引き回しで、フル行動できた久保谷様に感謝したい。いつもの常連メンバーとはいえ、実に愉快な山旅でした。

     (高田和三記録)

「時間はタップリ、財布は年金だのみ」のロートル山屋に押しかけられたが、四国を充分楽しんでもらえた。花のピークハント、観光、四国巡礼のキセル『中抜きで1番と88番』など、お接待の心で工程をたてたが、すべて消化できました、これも弘法大師の慈悲のおかげです。(久保谷記)